日本における美容の歴史

日本における最古の歴史書は712年に編さんされた「古事記」で、次は「日本書紀」ですが、そのどちらにも、顔に赤い色素を塗る習慣があったことが記されています。710年以降の奈良時代には、おしろいが中国から流入し、後の「平家物語」には平家の人々がおしろいを付け、化粧をする姿の記録があります。従って現存する歴史書の中で、美容に関する記述があるのは、この当時のものということになります。

794年からの平安時代になると、真っ直ぐな長い髪や眉墨(まゆずみ)など、日本独自の美容文化が誕生しています。同時期に歯を黒く染めるお歯黒(おはぐろ)も出てきており、これは当時の日本の女性が成人したことを祝う、儀礼的な意味合いが強いと思われます。この頃は公家社会で女性のみならず、高貴な男性の間でも身だしなみやステータスの1つとして、おしろいをしていたと言われています。

江戸時代に入ると美容に関するマナーやエチケットなどのルールが定まりつつあり、赤・黒・白がキーワード。お歯黒で歯を黒くし、おしろいで顔を白く塗り、唇も白く塗った後に小さく赤く塗ることが基本パターン。この頃の美容の中心は肌の美しさで、多くの女性は完璧な肌の色を追及し、美容は主にフェイスパウダーが中心と言えるものでした。江戸時代の末期になると、より繊細な美容が流行し、中でも濃い色の口紅が大いに流行りました。

多様性が求められはじめた20世紀の化粧品

20世紀に入ると働く女性が増加し、化粧は素早くできることが求められるようになり、フェイスパウダーや口紅はこれまでの単純な白や赤ではない、さまざまなニュアンスのある色調の美容製品が登場するようになります。

そして欧米の文化の流入が多くなると、日本国内の化粧品メーカーが多大な影響を受けたスキンケア美容製品を開発し、多くの女性や男性に使われることになります。

近代になり、現代の日本のコスメ等の美容業界は世界最大級のメーカーであり、マーケットリーダーでもあります。日本の美容業界のメーカーは、あくなき美容の追及により開発されたコスメや美容製品を生産し、現在確固たる地位を確立しています。